エッセー   京都  壬生(みぶ)狂言

  • 2008.07.08 Tuesday
  • 07:22


 雑誌の写真で、仮面を見た時の強烈な印象を、いまだに忘れることはできない。

 能や文楽の仮面と違い、全く異質な人間の喜怒哀楽や、心に潜む情念を表しているようで、一種のすごみすら感じられた。

 その仮面は、毎年四月二十日から二十九日まで京都 壬生寺 の狂言堂で行われる 壬生狂言 で使われると知ったのは、随分たってからだった。




                    京都 壬生寺


それからしばらくして劇作家 北条秀司 の随筆で壬生狂言の事が書いてあった。

 菜の花が咲き乱れる中で「カンデンデン、カンデンデン ・・・・・・」というカネと太鼓と笛のおはやしに合わせて、仮面をつけた演者が踊り、それをのどやかに見ている町衆の様子が、なんとも牧歌的に描写されていた。

 子供の頃、長い冬が終わり田植えの季節になると、村の鎮守の森にお神楽が来て、笛や太鼓の音が聞こえると、矢も盾もたまらず走って見に行ったという、遠い春の思い出にもつながっていた。

 そんなことから、機会があれば壬生狂言をぜひ見たいと思った。

 関西の仕事の折り合いをつけ、狂言が演じられる京都 壬生寺へ行ったのは四月の終わりだった。

 この日は穏やかな天候で、寺の境内に入ると葉桜になった染井吉野があり、参道の石畳にひややかな影を落としていた。

 正面には本堂、右側には幕末の新撰組浪士の墓、そして壬生塚などがある。  狂言が演じられている狂言堂はさらに右奥にあり、かすかなカネと太鼓の音が聞こえてくる。

 狂言はひとつの演目が三十分前後で、一日十五本ほど演じられるので途中で席を立つ人もいて、境内はこれから見に行く人、帰る人がのんびり行き交っていた。

 会場には外国の人や観光客も多かったが、演者が仮面をつけカネと太鼓の音に合わせて踊る独特の所作に、食い入るように見入っていた。

壬生狂言は、鎌倉時代円上上人が融通念佛の教えを広く布教するため作られた。

屋外で行われる為、町衆に最も分かりやすい方法ということで、身振り、手振りの無言劇の形をとったと言われている。

 演じている人は地元のさまざまな職業の人や、それに小学生などで構成されているという。

 しかし、訓練されたその所作は素晴らしく、仮面の表情は生身の人間以上に人の内面を描き出し、いつの時代にも共通する人間の煩悩や情念が、胸に迫ってくるようだった。

 現在使われている仮面は桃山時代から江戸時代のものらしいが、長い間使われていたため、小さな傷や手垢で鈍く光り、かつて写真で見た凄みとは違った迫力さえ感じた。

 さらにひとつの仮面がこれほど多様な表情や感情を表すことも、想像以上に驚きだった。
 
 狂言が演じられている狂言堂は安政三年に建立し、国の重要文化財に指定され、その独特の建造物は、建築史から見ても高い評価を得ている。

変容の激しいこの社会で伝統芸能を守り、演者を育て、環境を守っていくことは容易ではないだろう。

京都庶民の生活を垣間見れた、美しい屏風(びょうぶ)祭りも廃止になり、生活文化の基盤だった京町屋 も急速に減っている。
町衆や個人の努力だけではどうにもならないところまで来ていると言えるかもしれない。

 
 狂言堂を取り囲むように建っている商業ビルやマンション。 避けるように青空を見上げると、そこには遠い昔から変わらない京都特有の四月の空があった。

 「徒然草」 にある 「のどやかに艶なる空」 とは、こんな風のない光まぶしい青い空をいうのであろうか。

 「カンデンデン、カンデンデン ・・・・・・」というおはやしを聞きながら、平安朝の人も見たであろう空の色や、やわらかな風を感じながら、ゆく春の無常観を感じていた。
                狂 言 堂  (重要文化財)













エッセー   今年 の 桜

  • 2008.05.20 Tuesday
  • 06:03


 いつごろから桜が好きになったのかと、ふと思うことがある。
 高校の頃までは、むしろ色鮮やかな花が好きだったと思う。

 古来、桜を待ちわびる心を詠んだ歌や書物が多いが、高校生の私にとって早春の喜びとは、桜の開花ではなく、やわらかな陽ざしとともに雪がとけ、まだらに黒い土が顔を出し始める頃のほうが大きかった。

 二十代のはじめ、桜の季節に京都を訪れたことがあった。
 
 洗練された街並みや社寺を背に咲いている桜を見たとき、この花は幾代にもわたって、多くの人たちから愛されることによって完成された文化そのものだと思った。
 




         染井吉野    京都  嵐 山

 それまで、山桜と染井吉野しか知らなかったが、八重桜、枝垂桜、紅桜などいろんな種類や色があること。

 また、朝霧をふくんだ桜、夕暮れ時や夜の桜など、見るときによってさまざまな風情や表情を見せることを知って、桜がとても好きになった。

それからこの季節になると何回京都に通い、また東京で何度この花を見たことか。

 毎年桜を見るということは、思い出を一年ごとに重ねることでもあり、かつて一緒に見た大切な人や、その季節に別れた人を思い出し、時にとてもつらくなることも多くなった。




         紅枝垂れ   京都  平安神宮

 今年の東京の桜は、例年より十日ほど早く、三月末に満開になったが思いのほか寒い日や雨の日が続いた。

この悪天候にがっかりしながら、それでも雨の降る夜 四ツ谷の土堤に足を運んだ。

 四ツ谷から市ヶ谷、飯田橋と続く土堤は、江戸時代 お堀として造られた。
 千鳥が淵 ほどの華麗さはないが満開を少し過ぎた頃は、その下を流れる水面が隠れるほど桜で埋めつくされる。

  晴れてさえいれば、花見客や行きかう人で混雑したであろうに、 ひっそりとして 人影もない。
 青白い街灯に浮かんだ桜は、冷たい雨に打たれ、凍りついていた。

 雨が降ると満開になっても色が褪せて、鮮やかさがなくなるだけになんとも惜しく、花びらから落ちる雨のしずくは涙のように見えて、こちらまでせつなくなってくる。

 飯田橋近くには逓信病院があり、突然倒れた友人が入院しているはずである。
 
 傘を上げて花の向うに見える病院の窓を見上げながら、どんな思いで今年の桜を見ているのか、心中を察しながらしばらく歩みを止めていた。

 健康は、しみじみありがたいと思いながら、あと何回桜が見れるだろうかと、ふと考える。
 一人でしみじみ見る雨の日の桜は、心に郷愁を呼びいろんな思いを運んでくれる。

 例年、桜が咲いている間、花見酒で浮かれ過ごすことが多いが、今年はもうひとつの季節の過ごし方を、雨の日の桜が教えてくれた気がする。

                夜 桜   京都  清水寺













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